映画化『沈黙』原作感想

1/14土曜。

昨日、遠藤周作の『沈黙』を読了。

マーチン・スコセッシ監督が
長年温めていた映画化がついに実現。

1月21日から全国ロードショーが始まります。


物語の舞台は、17世紀の日本。
天草四郎が率いた島原の乱が鎮圧されて間もないころ。

「ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していた
 クリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で
 「穴吊り」の拷問を受け、棄教を誓った」

という知らせを告げる手紙から始まります。

(この「穴吊り」という拷問が本当にひどい)


徳川家光時代、「ばてれん」を弾圧する江戸幕府は
凄惨な拷問や近隣同士を見張らせる狡猾な密告の促進で

日本から基督教布教の根を絶やそうとしていた。

イエズス会内外から尊敬を集めていた
フェレイラ教父の棄教は、
果たして本当なのか、誤報なのか。


その真偽を確かめるためと、苦境のときこその布教に燃え、
2人のポルトガル司祭が日本に密航し、

母国では想像だにしなかった
小さな東国にかすかに光る信仰の実体に
身も心も激しく揺さぶられていくのです…。


映画を楽しみにしているので、
公式サイトの情報すら回避していた私ですが

もう、いきなり原作を読んでしまった!

それでもいま、
映画を見たい気持ちでいっぱいです。


ネタバレせずに続けると、

上陸したロドリゴ司祭とガルペ司祭は
自分たちをかくまってくれる百姓たちの、
あまりの貧しい暮らしに驚愕します。

「牛馬のように働き、牛馬のように死なねばならぬ」

という現実に打ちのめされつつ、
「しかし」と神の教えに立ち戻っていく。


「しかし、基督(キリスト)は美しいものや善いもののために
 死んだのではない。

 美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、
 みじめなものや腐敗したものたちのために
 死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりとわかりました」


その「腐敗したものたち」の象徴として

踏み絵に足をかけ、“転んだ”経験を持ちながら
ロドリゴ司祭たちを助けるキチジロー(吉次郎)が登場します。

終始、卑屈な態度をとるキチジローの矮小さに、
どうしても軽蔑の念を抑えきれないロドリゴ司祭。

自分を裏切った弟子ユダに「あの人」が
最後に告げたことばを思い起こしながら
己の信仰に疑問をつきつけます。


そして後半は、日本人の、いや、普遍的な信仰観へ。

「切支丹が滅びたのはな、
(中略)禁制のせいでも、迫害のせいでもない」

日本人の私も震える問題提起が描かれている。

きっと、スコセッシ監督はそこに
心をつかまれたのではないか、と踏んでいます。


「あとがき」にも書いてありますが
遠藤周作は「ドラマチックな小説家」であり、

本書も私たち読者を(信仰うんぬんを脇に置いても)
先へ、先へと駆り立てさせる
重厚な仕掛けが太く物語を貫いている。


刊行から半世紀が過ぎたいま、
自分にこの本を読むときがきてよかった。

映画、初日に行きたいです。

by miminibanana | 2017-01-14 11:37 | 世間話 | Comments(0)