「このへん」てどのへん?

今日はいずれ取材させていただくであろう、
北大の先生が話し手の「北大人文カフェ」に行ってきました。

人文カフェとは、ですね、
無料で誰でも聞ける気さくな学外授業、みたいな感じです。

今日のテーマは哲学とパラドクスについて。

クレタ人が言うには、「クレタ人はウソつきである」と。
じゃあ、このクレタ人が言ってることもウソなの? 
てことはクレタ人は「ウソつき」じゃないんじゃない? とか、ですね。

ビールを飲んでいたら絶対途中でわからなくなる、そんなお話。

じゃあ、これは?
「砂山から一粒砂を取り出しても、砂山は砂山である」と。
うん、そうだよな、と。一粒くらいなくなったって砂山は砂山さ、と。

では、「一粒取り出す」動作を幾度となく繰り返して、
砂山だったほうが残り一粒になったら
それはもう砂山とは言えないのかしらん。

としたら 「砂山から一粒砂を取り出しても…」は間違ってるの? 

そこでケンメイなる聞き手の一人が手を挙げましたよ。

「砂山は何たるかを定義すれば
(例えば、1万粒以上が砂山である、とか)
この問題はかたづくんじゃないですか」

それに対して先生はこう答えるわけです。

「確かに定義づけが有効なこともありますが、
我々の現実社会は実は定義づけができないファジーなことが多い」と。

背が高い、ってどれくらい?
 「このへんで会おう」の「このへん」て?
毛髪が危うい人はどのへんから「ハゲ」と言うの?

そのファジーさを内包して生きる現実社会において、
定義づけが必ずしも有効ではないときの「砂山」議論なのだ、と。

…こんなことを考え続けている哲学者ってナニモノ?
それは「知を愛する人」なのだそう。

どうです? ガッテンしていただけましたか? 
いや、私も無理(笑)。
なので早く取材に行ってみたい、というお話でした。

by miminibanana | 2011-05-29 17:52 | 世間話 | Comments(0)